安曇野でも桜が開花し、近隣の田畑では今年もほぼ例年通りトラクターが稼働しはじめた。
兼業農家の長男として生まれた私も、自宅周辺に田畑を抱えているが、今は自宅で消費する分の野菜を細々と栽培している。3月下旬から畑の草取りをはじめ、一昨日の日曜日には畑に堆肥と石灰を撒いて、トラクターでおこした。天気をみて今週末や来週末には葉野菜の播種やネギの定植をする予定だ。
親父が50代後半に差しかかったころに水田を近所の農業者に貸したこともあり、水稲を自身でつくったことはないが、時間をみては畔の草刈をやっている。借りてもらっている農業者も地元で40~50haほどの圃場を抱えながら年3回ほどは草刈をしてくれるが、夏の最盛期には草の勢いが勝り、ボランティアで草に抵抗している。草ボーボーというのは、やはり格好良くないからだ。

畑でのんびり草取りをしながら、農業の大変さ、そして大切さなどいろいろ感じることがある。世の中ではコロナウィルス感染拡大により社会生活や経済活動に重大な影響が生じているが、そんな中でも露地の農作業で一番重要なのは天候、つまり自然だ。農業とは、人間が人工的につくり出した自然環境における生産活動であるが、いかに自然環境に適応するかが課題である。これは施設利用型農業でも同様で、気温、日照量、湿度や降水量などを見ながら適切な生育環境をつくり上げるという、実に創造的な活動である。

政府(農水省)は農業を「成長産業」と位置付け、さまざまな施策を講じている。個人的な見解として、成長産業と捉えるのは、半分正しいが、半分間違っている。たとえば、いわゆる「スマート農業」としてIT(IoTやAI)、センサー技術、ロボット技術などを活用して生産性を引き上げ、収益力を高めることはかなり有用で、この領域においては成長産業と考えるのは、まあ正解だろう。他方で、水田耕作などの土地利用型農業では、特に中山間地においては大規模化の制約・限界が存在し、結局のところ、減反政策の延長線上にある生産調整と補助金に依存せざるを得ないのが実情である。この分野では、成長産業として積極的な投資をすることは賢明とは言えない。
しかしながら、「儲からないからやらない!」という結論にはならないのだ。それは耕作放棄の拡大によるマイナスの影響がかなり大きいからだ。景観の悪化、鳥獣害の増加などもあるが、最悪なのは地域に対する「誇り」を失うことだと思う。草ボーボーの地域に愛着など抱けるはずがない。農村を持続させることが農業の普遍的な価値であり、儲からない農業を続けられるように、儲かる農業をやる・・・・・これが多くの農業者にとっての経営戦略の本質だと思う。

政府が今日発令する「緊急事態宣言」により自粛モードがさらに深まるのは、致し方ないことだと思う。ただ外出自粛で外食は控えても、内食・中食という形で人間は食べなければ生きていけない。食の起源は農業を含む1次産業であり、どんな経済状況であろうと農業は普遍だ。こんな非常時だからこそ、より大切なことがはっきり見える気がする。